日本人の道徳観

 かっての日本(戦前)において、「修身教育」という素晴らしい教育が施されていた。これは、日本人の精神形成の中心な役割として、吉田松陰を始め、勝海舟加藤清正、米国初代大統領ワシントンなど、古今東西の偉人の話が載っていました。

 

 そして、その方々の具体的なエピソードを通して、"正直"、"勤勉"、"正義"、"公益"などの徳目が教えられていました。いわゆる「道徳教育」です。この道徳教育を通じて、あらゆる世代間で、共通の道徳観を持つことができたのです。

 

 修身の教科の主な内容
「家庭のしつけ」「 親孝行」「 家族・家庭」「 勤労・努力」「 勉学・研究 」「創意・工夫」「 公益・奉仕」「 博愛・慈善」「 資質・倹約 」「責任・職分」「 友情」「 信義・誠実」「 師弟 反省」 「正直・至誠」「 克己・節制」「 謝恩 」「健康・養生」「愛国心」 「人物・人格」「 公衆道徳」「国旗と国家」「 国際協調」・・・などです。

 

 これらが、現代社会で言われる「一般常識」の基本となった内容であり、日本人が遠い昔から受け継いできた、豊かな感性と伝統的道徳観が込められており、人が生きてゆく上で心がけるべき徳目述べられていました。

 

 これらが、日本人たる「躾」の根幹となった教えだったと思います。しかし、戦後(昭和20年12月31日)の占領軍命令において「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」で授業の終了と教科書の回収が決定され、日本の教育の現場から姿を消してしまいました。また、普通教育課程の修身、国史、地理の授業も禁止されました。

 

 以降、現代社会においては、これらの「徳」は教えられることはありません。そのせいか、家庭や学校においては「個性」を重要視するようなりました。その結果、日本人の心は荒廃し、今まで先人が築いてきた文化や歴史、そして慣習をも捨て去りました。

 

 特に人を敬い学ぶという謙虚な徳を失ってしまいました。子どもから大人までもが、礼儀を忘れ、目上や長老に対する尊敬の念を忘れ、情に任せ言いたいこと言う。自分の無知を棚に上げ他人のアラを探しばかりしてこき下ろす。

 

 他人より自分。謝る前に言い訳をする。常識と言えば一般常識ではなく個人の常識。思うことは限りなくあるが、とにかく道徳観なんてものはまるでない。荒れ果てている。